数か月ぶりに前職で勤務していた病院に行き、上司をはじめ同僚他スタッフと話し、顔を合わせてきました。
私はこだわりが強いせいなのか、こだわり以外に力が入れられないせいなのか、なぜか「集団に所属し続ける」事ができない人なのです。
それなので現職も含め、宗教その他グループ活動など、何にも所属しない、頻回な付き合いのない人間であります。
しかしその分、なぜか形式でない1対1の付き合いを異様に大切に思っており、
短くても、ほんの一回の付き合いであっても、
お互いに与えられた影響や感じた全てのことを大切に思っています。
医療職という職業も、両親の職業がら他人の冠婚葬祭への関わりもあり、
昔から親族家族をはじめ人やその他生き物の終焉と人生を観る機会が多くありました。
私は何にも所属しない人間なので、それぞれの宗教的観点はよくわかりませんが、
人の終焉は単なる通過点で、誰しもがいつか必ず通るもので、そこにあるものだと把握しています。
しかし終焉は終焉でありますので、迎え方、または終焉があることでそれまでの生きる日々(人生)をどう生きるか、
そこに多少の個々のこだわりや、追求、または安らぎを求め、その時までを生きるのか
今まで一瞬でも関わってきた皆様、
また悩んでるまだ出会えていない皆様も
自分の満足のいく日々人生を送ってもらいたいなと日々思っています。
この現在の職業は私の人生において向上し続ける集大成でありますし、
前に述べた後者の”悩んでいるまだ出会えていない皆様”に関われる機会ができる
私特有の一手段であります。
それを突き動かす原動力は、今まで私の人生の中で私に影響を与えてきてくれた
一瞬でも長い時間でもかかわりを持つことができ、私の一部に経験として存在しているみんなが、やはり日々を思う方向に生きれていること、また、それがうまくいかないとき私の存在が
ほんの少しでも役に立てるという事です。
もうお盆ですね。
涼しい気持ちでお盆をお過ごしください。
松田